立山三山〜五色ヶ原


■8月30日(月)
剣沢キャンプ場−別山−真砂岳−富士ノ折立−大汝休憩所−大汝山−雄山−一ノ越山荘−富山大学立山研究所−獅子岳−ザラ峠−五色ヶ原山荘(小屋泊)
■8月31日(火)
台風のため、五色ヶ原山荘で停滞(小屋泊)


3日目  
【05:46 剣沢キャンプ場出発】

テントを撤収し、剣沢キャンプ場を後にして立山方面に向けて出発だ。2日間に渡って眺め続けてきた剱岳とも今日でお別れである。今日は天候が良さそうなので昨日望めなかった剱岳の展望も今日登れば見られるのだが、明日辺りに台風がやって来る予報である。という事で今日中に山小屋のある五色ヶ原まで行かねばならないので、剱岳登頂は諦めた。

【06:24 剱岳を振り返り見る】 パノラマ写真を見る

剣御前小舎と別山の分岐点に到達し、後ろを振り返ると剱岳が相変わらず堅牢な山容を僕に見せ付けていた。瓦礫と砂礫の登山道をジグザグに進み、別山を目指す。

【07:28 別山】 パノラマ写真を見る

今日は月曜日なので登山者は余りおらず、快適な状態で祠のある別山に到着する事が出来た。地図を見ると祠から10分程行ったところに「北峰」と記載されており、荷物をデポしてカメラと三脚のみを持って移動する。北峰には小さなケルンと「別山」と書いた看板が置いてあり、剱岳の最高の展望所となっていた。地図には祠のある場所に「別山」の記載があり、今いる場所には「北峰」と記載されているが、O型の僕にはそんな事はどうでもよく、思いのままに写真を撮りまくった。

【08:30 真砂岳】 パノラマ写真を見る

別山の祠に戻り、砂礫の登山道を一旦下って登り返すと真砂岳に到着。別山からも見えた能登半島がここでも見えた。

【09:59 大汝山】 パノラマ写真を見る

大汝山に向かう途中で休憩所を発見。単なる休憩スペースかと思っていたのだが、実際は山小屋であり、ここでカップラーメンを買って食べる。休憩所の主人は暇で仕方が無いらしく「暇だ、暇だ」を繰り返していた。暇な主人と単独行の男性と3人で暫し雑談。このままずっと暇な主人の話相手となってあげたかったが、ラジオで天気予報を聞くと明日は富山県に台風が直撃するとの情報を聞いたため、先を急ぐ。休憩所を出て数分登るとすぐに大汝山に到着。ここからは黒部湖とそのバックの後立山連峰の展望が素晴らしかった。

【10:31 雄山】 パノラマ写真を見る

雄山山頂にはゲートがあり、5百円を払わなければ山頂に行けない仕組みとなっていた。5百円の内訳は山頂に行ける権利と、鈴付きのお札、そして祈祷代となるが、僕は神仏崇拝・祈祷とかその手のものは意味が無いと考えている人間なので(とは言え、神社に行くとパンパンと手を叩いてしまうのだが・・・。)、とりあえず5百円を払って山頂を往復し、鈴付きのお札をザックに取り付けて、祈祷は時間の無駄なので断って先に進む。

 

【11:55 富山大学立山研究所付近】

雄山から急なガレ場を下りきると、一ノ越山荘に到着。下る途中、半袖・短パン・スニーカーと、地上の通常生活の格好をした観光客が沢山雄山を目指して登っており、ここが本当に3,000m峰の一角なのかと一瞬疑ってしまった。一ノ越山荘から一登りすると、富山大学立山研究所に到着。ここからは間近に竜王岳と遥か先に本日の宿がある五色ヶ原の展望が広がっていた。まだまだ五色ヶ原への道程は続くので先を急ぐ。

【外人夫婦と出会う】

富山大学立山研究所から先は全く人気が無くなり、自分専用となった登山道を進む。このまま五色ヶ原まで一人かな〜と思いながら歩いていると、鬼岳から獅子岳に向かう途中で外人夫婦に出会う。僕は英語は喋れないが学校で習った単語位は覚えているので、ジェスチャーと交えながら会話をすると、今日は僕と同じ五色ヶ原山荘に泊まり、薬師・黒部五郎・槍穂を超えて上高地まで向かうという。奥さんは山慣れした感じだが、旦那はお腹に子供がいるかと思える程にぽっこりとお腹が出ているので、槍から穂高の大キレットを無事に越えられるのか少し心配してしまった。

【13:31 獅子岳】 パノラマ写真を見る

外人夫婦と仲良く一緒に獅子岳に登頂。獅子岳からは五色ヶ原が手の届く近さにあるのだが、ここからザラ峠まで約350mを下り、そしてまた登り返さなければ五色ヶ原に辿り付けないので、近いように見えて遠い感じがした。
 

【ザラ峠】 パノラマ写真を見る

獅子岳からこんなに下ってしまっていいものかと思える程下ると、今回の山旅で楽しみしていたザラ峠に到着。歴史に興味が無い人間はこのザラ峠を単なる通過点として通り過ぎてしまうだろうが、歴史好きの僕には引き止められる場所だ。ザラ峠は戦国時代に越中(現在の富山県辺り)を収める佐々成正公が厳冬期に通過した峠なのだ。彼は1584年に秀吉と家康が対立した際に、家康側に付くが進軍に失敗。窮地に立つ彼が取った行動は、家康に秀吉との再戦を促すために、厳冬期の立山に入り、このザラ峠を越えて信州側に抜け、家康がいる浜松へ向かうというものだった。結果は空しく、翌年秀吉の越中征伐軍に降伏する事となるが、彼が取ったこのザラ峠越えの行動は、日本山岳史の記録に残る初の快挙と呼べるものであろう。

【14:48 五色ヶ原】 パノラマ写真を見る

ザラ峠から登り返して少し行くと登山道が木道となる。五色ヶ原ヒュッテを過ぎ、高山植物の最盛期を過ぎ、花が咲いていない五色ヶ原の風景を眺めながら進むと本日の宿の五色ヶ原山荘に到着。山荘の主人に「今夜台風が来るので、窓にバリケードを張ったから日が入らないので我慢してね」と伝えられ、部屋に入ると既に単独行の男性一人がおり、後から到着した外人夫婦と僕を含め、計4人が本日の宿泊者となった。五色ヶ原山荘にはこんな山奥にも関わらず風呂があり、また、食事もエビフライに手作りの豆腐なども味わえ最高の宿泊所であった。


4日目
【18:09 五色ヶ原山荘前から槍ヶ岳を撮影】

昨晩は台風による影響の風で、窓に張ってあるバリケードが取れるんじゃないかと思う位に風が吹き荒れ、「もしも昨日テント泊だったらどうなっていたんだろう」と考えるとぞっとした。4日目の今日は台風本体が通過し、外に出る事すらままならないため、食料も余っている事だし素泊まり泊とし、本を読んだり山荘の方々や単独行の男性や外人夫妻と話をするなどして暇を潰して1日を過ごした。夕方になると完全に台風が通過して外に出ると槍ヶ岳?が穂先を出していたので、写真を撮って、明日の出発のために、早めに寝た。

初めて山の中で台風を経験したわけだが、ただでさえ風が強い高所に台風がやって来るとどうなるかを経験出来たので、貴重な体験だ。さて、明日は今回の行程の中でも一番のロングコースとなる薬師越えだ。地図タイム合計が10時間以上となっているので、重い荷物を背負って亀足となっている自分には越えられるか不安であるが、とりあえず頑張って見る事にした。

5,6日目へ(五色ヶ原〜薬師岳〜雲ノ平)