春日山・春日山城跡の登山記録(2009年5月6日)

GWに登った春日山の登山記録です。

春日山は上杉謙信の居城である「春日山城」の城跡がある山で、山+史跡巡りの相乗効果でかなり楽しい登山・史跡巡りでした。

<登った山>
春日山(180m)

<日程>
2009年5月6日(水)

<行程>
大手道口駐車場(05:23)→大手道口(05:25)→南三の丸跡(05:47)→権現堂(05:59/06:16)→南三の丸(06:27)→春日山城本丸(06:47)→茶店・春日山神社(07:42)→帯郭(08:03)→茶店・春日山神社(08:18)→大手道口駐車場(08:25)

行動時間:3時間2分(休憩時間含む)

<ルート>※GPSでトラックログを取得していないためルートは適当です。

<登山記録>

前日に妻女山の史跡巡りを終えた後に、新潟県の上越市に移動。春日山城跡に一番近い道の駅で車中泊する予定だったが、一番近い道の駅が10km以上離れている「道の駅あらい」であり少し遠い。翌朝移動するのも面倒なのが理由で今日は春日山城大手道口にある駐車場で車中泊する事とした。

3日連続の日帰り登山+史跡巡り1日で少し疲れており、日が暮れた19時過ぎに寝る。日が暮れても何故か春日山城址方面に向かう車は多く、ライトの灯りと騒音で少し煩い。20時、車が駐車場前を通過したかと思うと少し先で車が停まり、目が覚める。車から3人が降り、一人の女性は急いで屈んで何か作業をし始める。「どうせトイレを我慢してキジ打ちでもしているのだろう」と思い、再び静かな夜になるのを期待していたのだが、10分経過しても屈んだ姿勢であり、しかも他の2名が車から何かを取り出して女性に手渡し、バケツリレーのように再び車に何かを戻すという動作を繰り返している。理由を知らない僕は何かヤバい事をしているのではないかと思い、車の窓に顔を隠しながら様子を見ていたのだが、何の事はなく単に水場でポリタンクに水を汲んでいただけであった(笑)。

その後も水汲みの車が2台程やって来て、水汲みを終えて帰っていく。21時を過ぎ、再び静かな夜となる。が、今度はパトカーがやって来て職質を受ける。どうやら今夜は静かに眠らせてもらえないようだ。免許を要求され、明日早朝に大手道口から春日山城址に登る予定である事を伝えると車内を調べずに去って行ってくれたが、今度は夜中の1時に車の窓をガンガン叩かれて起こされる。「何なんだよもー、アホ・ボケ・カスー」と眠い目を擦りながら外を見ると、またもや警察である。再び免許を渡して事情を説明すると、車中を調べずに去って行ったが、1回職質して車両Noと免許まで調べているのだから2回も職質するなんて非効率な仕事は止めて欲しいもんだ。警察なんてどうせ情報共有も出来ていない効率の悪い仕事の仕方をしているような組織なのだろう。呆れて物も言えないが、ここに書いてスッキリしたのでよしとしよう(笑)。

[05:23 大手道口駐車場]

04:30に起き、食事を食べて出発。こんな朝早くであるがもう既に水汲みの車が停まっており、水をポリタンクに汲んでいた。ちなみに昨日警察から聞いた話では、上越市は水道の水が美味しくなく、市民がここに水を汲みに多く訪れるとの事だ。僕は西東京に住んでいるが、普通に水道の水を飲んでいるので何だか変な話でちょっと驚いた。
2009_0506_052333

[05:25 大手道口]

駐車場から市街方面に少し戻って大手道口に移動。NHK大河ドラマ「天地人」の影響で観光客が多く訪れるのか、屋根付きのケースに「春日山城跡めぐり」のガイドが設置されていた。
2009_0506_052504

[05:26]

アヤメの花が咲く田園地帯の道を進んでいく。
2009_0506_052617

[05:29]

大手道は非常に綺麗に整備されていた。
2009_0506_052943

[05:35 番所跡]

整備された歩きやすい道を登っていくと視界が開け、番所跡に到着。ガイドには「ここから見る本丸は格別!」と書いてあったが、本丸方面には砦跡があるわけでもないので、そんなに格別にはならなかった。
2009_0506_053522

2009_0506_053607
番所跡から本丸方面を望む。

[05:47 南三の丸跡]

急な坂を登っていくと視界が開け、三の丸跡に到着。三の丸跡には畑があり、地元の方が利用されているようだ。
2009_0506_054749

[05:48 権現堂登り口]

春日山城本丸を示す看板の矢印通りに進んでも良かったのだが、「謙信公祈願所 権現堂 登り口」と記載された看板を発見。この手のものに史跡巡り好きが喰い付かないわけがないので、とりあえず権現堂に向かう。
2009_0506_054817

2009_0506_054928

[05:59]

権現堂の登り口からの道は登山道となって、かなり綺麗に整備されていた。地元の保存会の方が整備されているようで、非常にありがたかった。
2009_0506_055910

[05:59 権現堂]

「権現堂すぐそこ」という看板が現れると、権現堂は目と鼻の先であり、あっという間に権現堂に到着。権現堂には小さな社があり、木が刈り払われており視界は良好。遠くに雪を被った山が見えたが、現在地を示す地図が無く方向が分からないので山名までは分からなかった。

権現堂のパノラマ写真を見る

2009_0506_055946

2009_0506_060434
権現堂の展望。

[06:20 南三の丸跡]

南三の丸跡に再び戻ってくると雨が少し落ちてきて、たまたまあった屋根付きの小屋で再び雨宿りして、雨が上がったところで本丸に向かう。
2009_0506_062734

[06:32 柿崎和泉守屋敷跡]

南三の丸から少し林道を登ると、柿崎和泉守屋敷跡。僕の頭の中にはゲームの「信長の野望」を元にした武将データベースが格納されており、柿崎和泉守=柿崎景家とすぐに変換される(笑)。ちなみに、NHK大河ドラマの天地人で、上杉三郎景虎に味方して殺された柿崎晴家は柿崎和泉守の嫡男である。
2009_0506_063217

2009_0506_063330
看板の裏側には桑取道についてが記載されており、ここから桑取に行けるようだ。天地人で上杉景勝軍が兵糧不足となり、樋口兼続が桑取の長に協力を要請しに桑取に向かったシーンが思い出される。

[06:35]

柿崎和泉守屋敷跡からの道沿いにはシャガの白い花が咲いていた。
2009_0506_063508

[06:38 上杉景勝屋敷跡]

柿崎和泉守屋敷跡からは時の関白 近衛前嗣が通った事から呼ばれている「御成街道」を水平に進んで本丸にも行けるが、ガイドに記載されている上杉景勝屋敷跡を通るルートで本丸に向かう。上杉謙信の養子の上杉景勝の屋敷跡は、樹林や草に覆われている暗い雰囲気の場所だった。
2009_0506_063832

2009_0506_064023

[06:44 井戸丸跡]

春日山城は山城であるため雛壇状に平地が確保されており、上杉景勝屋敷跡から一段上がると井戸丸跡に到着。平城の場合、地下に地下水が流れていれば深く掘り下げるだけで井戸が用意出来るが、山城でしかも殆ど山頂部のこの地点に井戸がある事に驚いた。看板を見るとサイフォンの原理で水が湧いているようだ。
2009_0506_064413

2009_0506_064427
放置されているから水が濁っているが、当時はここで綺麗な井戸水が確保出来ていたと思われる。

2009_0506_064446

[06:47 春日山城天主台・本丸跡]

井戸丸跡から更に一段上がると、春日山城天主台跡とその先に本丸跡である。本丸からは上越市の大パノラマが広がり、かつて上杉謙信もここから同じ景色を眺めていたのかと思うと、少し感動した。

春日山城天主台のパノラマ写真を見る
 春日山城本丸のパノラマ写真を見る1春日山城本丸のパノラマ写真を見る2

2009_0506_070125

2009_0506_065708

2009_0506_065300
本丸跡からは直江津の港と奥には米山が見えた。

[07:03]

本丸跡から一段下って二の丸跡に移動する途中で雪を被った山が見えた。2009_0506_070334
見えにくいが、真中奥の尖った山が火打山で、右側の樹林に近い山が焼山。だと思う。

2009_0506_070402
こちらは未調査。

[07:05 二の丸跡]

本丸から階段を下って一段降りると二の丸跡。二の丸跡には小さな井戸があり、これまた飲む気にはなれないが、ちゃんと水がたまっていた。

2009_0506_070510

2009_0506_070552

[07:07 帯郭]

帯郭から再び一段上がって、毘沙門堂に移動。春日山城はルートがいくつかあり、一筆書きで全ルートを歩けないので、全部を巡りたければ、何度も昇り降りしなければならず大変。
2009_0506_070743

[07:09 毘沙門堂]

上杉謙信が出陣前に籠ったとして知られる毘沙門堂に到着。視覚から来る影響というのはやはり凄い。NHK大河ドラマ「天地人」の影響で毘沙門堂は洞窟であり、洞窟を想像していたが、実際は昭和5年再建の木造のお堂であった。ま、当時の完璧な姿では無いと思うが、やはり毘沙門堂は洞窟であって欲しいと思うのは僕だけか?
2009_0506_070920

2009_0506_071053
毘沙門堂は扉が閉まっているが、拝観用?のためか、カメラのレンズ一枚分の覗き穴が空いており、そこにレンズを突っ込んで毘沙門天を撮影。

[07:12 護摩堂]

戦勝や息災を祈祷した場所と知られる「護摩堂」2009_0506_071234

[07:13 諏訪堂]

護摩堂から少し上がった場所にある諏訪堂跡。諏訪堂は何をする場所か分からなかったが、展望は本丸と同じ位に良かった。
2009_0506_071331

2009_0506_071511

[07:19 直江屋敷跡]

再び毘沙門堂を通過し、1段降りてお花畑。更に一段降りると、今年のHNK大河ドラマの主人公の「直江兼続」の屋敷跡に到着。せっかくなので記念にパノラマ写真を撮影し、三の丸に移動する。

直江屋敷跡のパノラマ写真を見る

2009_0506_071920

[07:30 縦掘]

三の丸に向かう途中に今は草木に覆われてい分かりにくいが、縦掘があった。自然の地形+更に掘り下げているのか結構な深さであり、敵兵が這い上がって来るのが厳しいような深さだった。
2009_0506_073001

[07:33 米蔵跡・土塁]

縦掘を左手に見ながら下っていくと、米蔵・三の丸エリアに到着。米蔵を示す石柱の後ろには当時の土塁がそのまま残っていた。
2009_0506_073355

[07:34 三の丸跡]

米蔵・土塁の向かいが三の丸跡である。
2009_0506_073442

[07:35 上杉三郎景虎屋敷跡]

三の丸跡の奥には、上杉謙信のもう一人の養子の「上杉三郎景虎」の屋敷跡があった。「上杉景虎」と書かずに上「杉三郎景虎」と書いているある理由は、上杉謙信が「謙信」と名乗る以前に「上杉景虎」と名乗っており分かりにくいからなのだが、自分の過去の名前を養子に与えるというのはやはり相当目をかけていたのだろうか。謙信亡き後、御館の乱で共に養子の景勝と景虎が争い、景勝が勝って国主となるが、実は上杉謙信も青年期に実の兄の長尾春景と

デル株式会社

このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク livedoorクリップ Yahoo!ブックマークに登録

タグ

2009年5月16日 | コメント/トラックバック(4)|

カテゴリー:登山記録


トラックバック&コメント

この投稿のトラックバックURL:

トラックバック

コメント

  1. 旅人 より:

     停滞期間が長かったようですが、いきなりトップギアに入れてガツガツ登れるところが、深山さんの真骨頂なのでしょうね。感心します。

     鳥は、ヒヨドリだと思います。偉そうに言っていますが、当方もそんなに判らないので、弱気な発言ですが・・・。

  2. 深山 より:

    こんな気まぐれで登山している僕を感心しないで下さいよ~。

    気持ち的には毎週でも登った事のない山に登ってパノラマ撮影したいのですが、中々そうもいかず…。

    僕なんかよりも、仕事の立場も忙しさも大変な旅人さんが毎週山に登っている事に感心します。記録を見る限り、ここ数年旅人さんはモチベーションが切れて山に登らないなんて事は無いのではないでしょうか。
    今年は百名山が残り11座という事もあり、百名山優先で山に登る予定です。9月~10月3週までは諸事情により山には登れませんが、それ以外は登れますのでまた誘ってくださ~い。

  3. 旅人 より:

     その気まぐれ登山が出来るところが凄いのです。ふつう間が空いてしまうと、なかなか本調子に戻すことは難しいです。雪山をやらない人が、待ちわびたように春山に入るかというと、そうでもなく。ちょっと重い腰を上げて入るような感じのはず。しかし深山さんは違う。持って生まれたものがいいのでしょう。

     こちらはとりあえず「毎週」を続けていますが、北陸のドクターは週二回ですから、それを思うとまだ半分です。まあ週中ろくに動かないので、週末のみが体を動かす時であり、健康維持には週一でも継続は力なりと言ったところです。

  4. 深山 より:

    鉄は熱いうちに打てと言うじゃないですか~。今が熱い時期でまたすぐに冷えますので…。(違うか?)でも素直にありがとうございます。

    旅人さんも北陸のドクターも、僕からするとどちらも超人です。定期的に山に登られている事も凄いですが、山に向かう姿勢(事前準備を怠らない事、装備etc)が尊敬できます。特に旅人さんの場合は直接目で見て確認させてもらいましたので本当にそう思ってますよ。

    僕も旅人さんがよく使う表現の「笑われないように」山に向かっていこうっと。


コメントをどうぞ

このページの先頭へ

日本百名山を含む日本各地の山頂からの展望をマウス操作で360度自由に動くパノラマ写真で紹介しています。