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鮫ヶ尾城(さめがおじょう)は、現新潟県妙高市にかつて存在した上杉家配下の城。平成20年(2008年)7月28日、国の史跡に指定された。築城年は分かっていないが、永正〜天正年間に上杉氏(長尾氏)による北国街道の防御を兼ねた街道整備の一環として、春日山城直近の最前線要塞の意味合いで築城ないし大規模改修がなされたと伝わる。謙信死後に勃発した御館の乱に於いて、城主である堀江宗親は上杉景虎側に付き、御館落城後に関東への唯一の逃げ道(景虎は北条氏康の子ないし北条氏縁者との説がある)となったこの城を経由して逃がすべく、景虎を城に引き入れる。しかしながら宗親は安田顕元の寝返り工作に応じ、二の丸に火を放ち当人は退去。その後、総攻撃を受けた鮫ヶ尾城は落城、景虎は妻子共々自刃して果てた。現在も米蔵跡からはその乱の時に焼けた米『焼き米』が出土する。(文化財指定されている為、持ち出し禁止)また、平成20年度(2008年度)の調査において、雑穀が混じっていないおにぎりが出土している。
「鮫ヶ尾城」『ウィキペディア日本語版』 2009年5月19日(火)14:16 UTC、URL:
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